アシガール 石垣アシガール第6話で平成に行った若君が尊に連れられて黒羽城跡を訪れる場面があります。
そこにあるのは黒羽城の石垣の一部ですが、若君は愛おしそうに石垣に触れます。
ここで若君は450年後にタイムスリップして来たという事実を受け入れることになりますが、その直後、1559年(永禄2年)に羽木家が滅亡する運命にあることも知ってしまいます。(その部分のシーンはありませんが…)
若君が石垣に触れるシーンは非常に印象的なのですが、歴史的に考えた場合、この石垣が少々問題になります。

城で石垣が築かれるようになった年代
中世の山城では、曲輪周辺は土塁で固められているのが一般的でした。
石垣は元々山岳の寺院建築に使用されていたもので、城で頻繁に使われるようになったのは戦国末期以降になります。
後の手本になるような本格的な石垣を持つ城としては織田信長が琵琶湖畔に築いた安土城(1579年築城)が有名ですが、あの天空の城・竹田城に残る石垣も安土城を基にして築いたと見られています。
その16年前の1563年、30歳の信長が自身初めて築いた城である小牧山城でも近年石垣の存在が確認されていますので、安土城は信長による石垣城の集大成であったと見ることができます。
築城時に石垣が存在した城としては、現時点では小牧山城が最古ということになるようです。
ただ、アシガールの黒羽城ではそれより前の1559年にすでに石垣があったことになっていますが、これをどう説明すればいいでしょうか。
実は、さらにそれより前に石垣が築かれていた城があります。

城として戦国最古の石垣を持つ観音寺城
日本で最初に石垣が築かれた城は観音寺城であるといわれおり、その石垣は1556年に築かれたという記述がある史料が残されているとのことです。
観音寺城は近江国南部を支配していた戦国大名六角氏の居城です。
現在の滋賀県近江八幡市安土町にある繖山(きぬがささん)に築かれた山城で、琵琶湖の東南側に位置し、標高430mほどの山頂に建てられた本丸からは琵琶湖が一望できたようです。
正確な築城年代は定かではありませんが、史料では、南北朝時代の1350年頃に観音寺城に関する記述が出てきます。

繖山の山頂近くには、平安時代にはすでに存在していたと伝わる天台宗系の寺院である観音正寺(かんのんしょうじ)があり、城の名称はこの寺が由来になっているものと思われます。
当初は寺を砦として使っていた時期があったとの史料が残っており、その後、山頂に城を築いたのではないかと思われます。
増築を重ねた城郭に寺が取り込まれる形になってしまったため、後に寺は山麓に移転したようですが、当初の寺の位置にはいろいろな説があるようです。
石垣は元々寺院建築に使用されていたものであったため、寺と関係が深かった観音寺城は石垣の技術を取り入れやすい環境にあったと考えられます。

観音寺城は増改築を重ねた結果、戦国最大規模の城郭を持つようになりますが、その過程で石垣が築かれたということになります。
当時の山城は、防御空間としての城郭が山上にあり、居住空間としての館が山麓にあるという造りが一般的でしたが、観音寺城は山上の大規模な城郭の中に居住空間もあったことがわかっています。
それだけでなく主な家臣も山上に館をかまえていたということですから、山上という天空に都市そのものがあったということになるかもしれません。

平成で若君が見た石垣をどう考えるか
「若君は見覚えのある石垣に愛おしそうに触れていた」と映像どおりに受け取って考える場合。
前述のとおり、城における戦国最古の石垣は観音寺城に1556年に築かれていたものと伝わっています。
これは唯が最初に跳んだ1559年の3年前になるので、この情報を得た羽木家の殿が城の一部に築かせたという考え方もできます。
広範囲ではなく、以前から気になっていた城の搦手部分とか…ですね。
築造にあまり時間がかかっていないことになるので。
別記事のとおり黒羽城の位置を北勢(三重県いなべ市)付近とするなら、観音寺城があった南近江(滋賀県近江八幡市)とは比較的近いため、情報収集から石垣造りに通じた職人の召喚など、時期的にギリギリですがなんとか成立するかもしれません。

また、第5で阿湖姫が初めて登場する場面の直前、松丸城の城門が映し出されますが、ここにも石垣が見えます。
これも同様な経緯で松丸の殿が築いたという説明が可能ですが、第5話に出てくる鹿之原合戦図のとおり、松丸城が黒羽城の西北の琵琶湖に近い地域にある場合、上記の観音寺城により近いので、黒羽城より松丸城の方が先に石垣を導入したという考え方もできます。

若君は石垣に見覚えがなかった?
もう一つは、「若君が実はこの石垣に見覚えがなかった」という考え方です。
石垣に触れる若君が無言で、その表情もいろいろにとれることから思い至った仮説です。
若君が石垣に見覚えが無かった場合、石垣は後の城主が築いたことになり、黒羽城は炎上しなかった可能性が高くなります。
すると、羽木家が生き延びたというだけでなく、後に若君自身が石垣を築いたという考え方もできます。
「未来に行って自分が作ったことになっているものを過去に戻って作る」って、これはもうバック・トゥ・ザ・フューチャーの世界ですね。

「この石垣は…わしの知る城には無かった。なぜじゃ?」

そこで、ふと唯の言っていた「若君を守る」という言葉を思い出し、尊にそのことを言うと、「姉は若君を救いたいと戦国時代に行った」ということを聞かされます。
その後、羽木家滅亡の話を尊から聞きいったんはショックを受けた若君でしたが、速川家に戻り、唯の部屋で自分が抱いた石垣への疑問について考えた結果、羽木家が生き延びたという可能性にたどり着き、一筋の希望が湧いたのではないでしょうか。
その後のシーンで若君が発する「定めはわしが己の力で変えてみせよう。」という力強い決意の裏には、実はそのこともあったのではなかったのか…と。

戦国という過酷な時代に生きる武将とはいえ、数え年で18歳の若者。
悲壮とも思える決意だけではなく、同時に希望も携えて戦国に帰っていった。
個人的には、そう考えたいですね。