アシガール 戦国武将アシガールに登場する若君(羽木九八郎忠清)にはモデルとなった武将がいるのか、いるとすれば誰なのか、という問題は歴史好きにとってなかなか興味深いテーマになります。
あちこちでこの問題を論じている人がいるようですが、ここで自分なりに考えてみます。

第1話で、小垣城を奪われて逃げてきた木村政秀に若君が馬で追いついた場面。
「大殿に一目お会いしてお詫びいたしたく。その後切腹せんと。」
と絞りだすように訴える木村対し、若君は「くだらぬ。」と一蹴します。

実は、初めて見た時、この姿にはあの織田信長が重なりました。
というのも、おそらく信長もそう言ったと思うので。

ただし、次に続く言葉が若君と信長では違ってきます。
その後、唯に気持ちを問われた若君は、「死に急ぐは誠の負けじゃ。」と答えます。
信長ならおそらく「切腹するくらいなら、数人でも敵を倒した後討ち死にせよ!」と続けたと思います。
信長は非常に合理的な考え方から、若君は人の命を大事に思う考えから、「くだらぬ。」という言葉に通じるのだと思います。

さてそれでは、若君のモデルとなった武将について本論にいきます。

北近江の戦国大名・浅井長政とは
ここでいきなり名前をあげます。
北近江(琵琶湖北東部)の戦国大名・浅井長政は1545年生まれ。
1542年生まれと思われる若君と同世代です。
後に織田信長に敗れ、若くして命を落とした悲劇の武将です。
※若君は1559年(永禄2年)に18歳とのことですが、数え年だと1542年生まれになります。

長政を主人公とした小説はいくつかありますが、その最期に至るまでの経緯があまりにも悲劇的ゆえ、今までに長政を主人公としたドラマは制作されていないと思います。
若い頃より勇猛果敢で知られ、衰退期にあった浅井家を繁栄させ、戦国大名とした武将として、信長・秀吉を描くドラマでは必ずといっていいほど登場します。
記憶に新しいところでは、大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」、「信長協奏曲」あたりでしょうか。
脇役ですが、時任三郎、高橋一生など主役級の俳優が長政を演じているので、長政の重要度がわかると思います。

元服直後、浅井家当主となる
祖父・浅井亮政の代に北近江周辺の国人のリーダー的存在となった浅井家でしたが、父・久政の代になって隣国南近江一帯を支配していた戦国大名・六角氏の影響を受けることになります。
1559年の元服時、浅井家嫡子だった長政は、六角氏の要請で六角家家臣・平井定武の娘を正室に迎え入れ、名も平井家嫡子義賢の一字をもらって賢政と名乗りました。
これは六角氏の家臣として扱われたことになりますから、浅井家にとってはかなりの屈辱です。
この父・久政の弱腰外交に反感を持った浅井家家臣たちは父を強制的に隠居させ、元服したばかりとはいえ、知勇に優れた長政を浅井家の当主としてしまいます。
鷹狩りに出かけた父を城に入れずそのまま追放したとか…
これはいわばクーデターなんですが、この後も父は家中に大きな影響力を持ち続け、最期の時は小谷城内の別丸に住んでいたので、このクーデターの真実は謎です。(偽装かも?)
元服したとはいえ、初陣前の長政に国を託すとは尋常ではありませんね。
ここで六角氏と手を切る決意をした長政は、正室を離縁して実家に帰しています。

初陣で倍以上の敵に大勝
1560年(永禄3年)、六角氏が浅井家との領地境界付近に位置する肥田城を大軍で攻めるとの報告を受けた長政は1万1千の軍勢を率いて救援に向かいます。
これが長政の初陣となりますが、2万5千と倍以上の兵力の六角勢を見事に撃退します。(野良田の戦い)
これによって浅井家は独立した戦国大名として名乗りをあげ、以後北近江を支配することになります。
この時、長政はなんと16歳!

これ、第2話で木村先生が棚から出してきた歴史書に書かれていた記述とどこか似てませんか?
それは以下のようなものでした。

羽木忠高の嫡男である羽木九八郎忠清が総勢一万の兵を率いて小垣城奪還に成功した。
この時忠清は十八歳であった。

この若君の小垣城奪還は、第3話の戦であると思われますから、1559年(永禄2年)のことで時期も近いですね。
ただ、北近江の石高(10万石程度か?)から考えて、長政が1万の兵を動員できたことには少々疑問があります。
せいぜい3千程度で、六角勢もその倍程度だったのではないかと思っています。
戦国大名の勇猛さをアピールするため、多くの史料では兵力を水増しする傾向にあるようですから、この根拠となった史料でも少しオーバーに書かれているものと思われます。

この後、長政は心機一転、「浅井新九郎長政」と名乗ります。
新九郎って…若君の九八郎と何となく似てるような…

続きは、次の記事:羽木九八郎忠清のモデルとなった戦国武将は?(2)