松丸家から羽木家への手紙(第9話)の現代語訳と考察

松丸の手紙この松丸家から羽木家への手紙はアシガール第9話の平成シーンに出てくる貴重な史料です。

この手紙に記された若君と阿湖姫の婚儀の件を知って、いったんは落胆した唯でしたが…
小垣の古戦場から発見されたという金メダルをかじる自分の写真を見せられ、若君の婚儀をぶち壊しに再び永禄に跳ぶことを堅く?決意します。

この日(平成30年3月2日)は夕方に燃料生成装置の爆発があり、夜には永禄に跳ぶというまさに激動の一日でしたが、その始まりがこの手紙でした。

松丸家から羽木家への手紙

寄稿者:とっかえひっかえ様

唯は若君に送られて永禄から平成に帰ってきます。
尊からタイムマシンの燃料が無く、もう永禄には行けないと知らされます。
落ち込む唯に木村先生が「松丸家から羽木忠高に宛てた手紙が見つかった」と言い見せたものです。
この手紙には「永禄3年3月19日」と年月日が書かれています。
ある日…アシガールの出来事の何月何日は、この手紙の年月日を元に考えていけば答えが出る!と気がつきました。
戦国の旧暦で、満月は毎月15日のはずだからです。
それでも1人で考えていたのでは、とても答えまでたどり着かなかったと思います。

NHKの掲示板上で友人達と意見交換をしながら、合わせて平成の速川家の診察室とリビングにカレンダーを見つけて、答えにたどり着くことができました。
ブログ記事『タイムスリップした日を時系列的に整理』の[永禄平成時系列図]で何月何日と出来事を図にまとめたものを見ることができます。
その後…更に第1話 平成で学校の昼食時に後ろの黒板に、5月11日(初めてタイムマシンで永禄に行く日)と書いてあることを、知らせてくれた友があり、何月何日は確定されたと言って良いでしょう。
『松丸家から羽木家への手紙』はアシガールの何月何日を考えさせ、アシガールの魅力に更に深くはまる原因になった…とても感慨深い手紙です(*_*)。

NHKの掲示板に投稿したものを少し進化させています。
手紙を読んだ釈文と現代語訳の後に、この手紙から想像できた阿湖姫の父上とについて少し書いてみたいと思います。
最後この手紙に関する解けない2つの謎と、推理した謎の答えを2つ書きたいと思います。

松丸の手紙 釈文

松丸の手紙注…( )の部分は少し自信がありません。

今度對高山被及合戦 被得勝利候段 大慶之至候
殊御嫡男 九八郎殿 被抽軍功之由關及候
是又 祝着至極段候
将亦就 忠清殿及當家阿湖 婚礼之儀 暫延引候へ共
再度到合戦(者)及難儀候間 早々日限 御定候て可然存候
此旨 御返事待入候 恐惶謹言
松丸治部少輔
永禄三年三月十九日   義秀【花押】
御屋形様
    人々御中

松丸の手紙 現代語訳

今度の高山との戦では勝利され、おめでたいことです。
とりわけ、跡取りである九八郎殿の御働きは、抜きんでていたと伺いました。
これもまた非常に御目出度いことです。
忠清殿と阿湖姫の結婚は延期しましたが、
また戦になっては難しいので、早々と日を決めるべきです。
お返事をお待ちしています。謹んで申し上げます。
松丸治部少輔
永禄三年三月十九日   義秀【花押】
御屋形様
    人々御中(脇付け)

【宛先】と【脇付け】

この手紙の【宛先】は羽木忠高ではなく、「御屋形様」になっています。
これは偉い人に直接手紙を届けるようなことをしては、大変失礼になると考えられていたからです。
偉い人の名前を書かずに、偉い人がお住まいの建物(ここでは屋形)や、偉い人の周りの人々を【宛先】として書きました。
【脇付け】の『人々御中』は、直接届けて失礼にならないように、周りで働く人々に差し上げますよ…という意味を持っていました。
さて手紙の差出人の「松丸治部少輔」ですが、『治部少輔』は官職名です。
年月日の下には「義秀」と「花押」が書かれています。松丸義秀は「官職名、名前、花押」と、3回も自分が誰であるかを書いています。
自分が誰かを丁寧に書くことは、礼儀正しい態度とされていました。たとえば信長は、ある時期から日付の下の「花押」さえも書かず朱印のみ…尊大な態度をとったそうです。

松丸家は羽木家に対して、非常に礼を尽くしていると思います。
きっと松丸義秀殿は、礼儀があり気遣いができるお方なのだと想像します。

松丸の手紙 2つの謎

アシガール 手紙手紙の日付は永禄3年3月19日です。
ブログ記事『タイムスリップした日を時系列的に整理』から『永禄平成時系列図』に移動して見て頂くと…唯が若君と阿湖姫の婚儀をブチ壊しに永禄に着いたのは、永禄3年3月15日です。
この4日後に、松丸義秀は手紙を書いたことになります。

手紙には若君が高山戦で勝利し「おめでたい」とあります。
若君が高山戦に勝利した戦とは…おそらくお袋様が言われた…唯がいない永禄で高山が羽木を2度も攻めてきた時の…2度目でしょう。
さて…この手紙が書かれたのは、唯がどのような状況の時なのでしょうか?
唯が阿湖姫と間違えられて、長澤城に捕らわれる前なのか後なのか?
日付が書かれているにもかかわらず、分かりません。
これが1つ目の謎です。

それから平成で木村先生が唯にこの手紙を見せた時のことです。
「松丸家から羽木忠高に宛てた手紙が見つかった…」
木村先生の言い方は微妙なので2種の解釈が出来ます。
「松丸家から」 「羽木忠高に宛てた手紙が見つかる」
「松丸家から羽木忠高に宛てた」 「手紙が見つかる」
どこで、みつかったの?「松丸家」それとも「別のどこか」
これが2つ目の謎です (^_^;)

松丸の手紙 予想

もしも?『松丸家から発見』ならば、松丸は羽木へ手紙を出さなかったことになります。
だったら松丸家は、なぜ出さないのか?
出そうとした時に、『高山家から、高山家にいる阿湖姫(唯)と宗熊の婚儀を…という手紙が届いたため』(松丸は阿湖姫の所在の確認が優先され、出せなくなった)ならば辻褄が合う…。

ではなぜ捨てずにとっておいた?という疑問が残ります。
現代ならば、ビリビリ…捨てます。
昔は紙が超貴重~☆ 強度は我らの想像以上に強~い☆
更に松丸義秀殿の手紙は、とても羽木家への敬意を感じさせますので、
超上質の紙を使ったと想像してしまいます。
捨てるのはもったいない。
襖か、屏風の下紙として補強用に使ったのが、450年後に出た~
だったのかも。

松丸の手紙 予想

さてここでもう一度木村先生の微妙な言い方に注目して…
手紙は松丸が羽木に出して、羽木忠高が読んだ仮定?としますと、

SPで羽木家の黒羽城から野上に撤退の折には…
全てを持ち出した様でしたので、きっと手紙も持って行ったと考えられるでしょう。
次に野上の地から緑合にはどうでしょう?
少しのものしか持っていけなかったのでは…
男達は武具と馬、女達は少しの衣装だけを選んだのかも…(T_T)
手紙は野上の地で手放した荷物の中に、たぶん残った。
そして野上近くの…襖か屏風の下紙から発見されたのかも?

もし緑合で見つかれば、唯に手紙を見せた時には木村先生には
羽木の緑合行きが、分かっていたはずだと思います。
緑合行きは、まだ知らなかったようです。

これ(手紙は羽木へ着いた)も辻褄があうんですけど…どっちだったのか…
本当のことは分からない。

分からない所があるのも、アシガールの魅力なんですよね~ (^▽^;)

 


 

松丸から羽木への手紙について・・・【管理人】

松丸から羽木への手紙松丸から羽木への手紙は謎の多い手紙です。
出てきた状況も詳しいことは不明で、出てきたタイミングも何か得体のしれない意図?を感じます。(^^;
引越しのどさくさで紛失し、一時他家に保管されていたものが何かの事情で松丸家に戻ってきた…なんていう考え方もあるかもしれません。
出したのか…それとも出さなかったのか…
とにかくいろいろ考えられるので、まことに面白い…です。

ところで…
治部少輔(じぶのしょう)の官職で有名な戦国武将といえば、あの石田三成。
関ヶ原関係の戦国ドラマでは他の武将からさかんにこの官職名で呼ばれていたのを思い出します。