アシガール 旧暦アシガールの舞台である戦国時代の暦は現在の暦と違っていたことは歴史に詳しくない方でもご存知だと思います。
現在使われている太陽暦(グレゴリオ歴)に対して、戦国時代の暦を旧暦と言っています。
旧暦を陰暦(太陰暦)と捉えている人も少なくないようですが、少々勘違いがあります。
では、この旧暦とはどんなものなのでしょうか。

太陰暦
月の満ち欠けに合わせて作った暦を太陰暦といいます。
太陰暦では、新月(朔月)を1日、満月を15日とし、1月を29~30日としています。
正確には29.5日とされていますが、月の公転周期は27日なので2日半ほど違いがあります。
地球も太陽の周りを公転しているため、次の満月で満ち欠けにおける同じ位置関係になるには地球の周りを少し余計に回る必要があります。
これが約12分の1周ということで、29.5日を12で割るとほぼ2日半ということになります。

ところで、1月を29.5日とすると1年は354日となり、太陽暦の365日より11日ほど少なくなります。
すると、年月がたっていくうちに暦と季節が次第にずれていき、将来的に8月に雪が降ったり、1月に猛暑日があったりすることになってしまいます。
ほうっておけばまた元に戻るんですが、そのうちにまたずれ始めます。
古来より四季の趣を大切にする日本としてはこれは一大事です!
また、暦を頼りとしている農業や漁業を初めとする様々な産業にとってもたいへん不便なことになりますね。

太陰太陽暦
太陰暦で起こる暦と季節のずれを修正した暦が太陰太陽暦です。
1年の日数は地球の公転周期で決まるので、1年が365.24日であることは暦では基本となります。
太陰暦と同じく新月(朔月)を1日、満月を15日とし、1月を29~30日としますが、年に11日ほど不足していく1年の日数を調整するために、3年に1回、閏(うるう)月というものを追加します。
閏月が追加される年を今と同様に閏年といいますが、閏年は1年が13ヶ月だったんですね。
この事実を知った時にはかなり衝撃を受けましたが…

正確には、閏月を19年間に7回追加するとほとんど誤差が無く運用に支障が無いことが古代から知られていたといわれ、中国では殷の時代(紀元前17世紀頃 – 紀元前1046年)にすでに閏月を入れた暦が使われていたといいます。
これは太陽暦の19年と太陰暦の19年7ヶ月の日数がほぼ等しいという経験から取り入れられたと考えられており、この周期をメトン周期(中国では「章」)といいます。

太陰太陽暦は、月の日数を月の満ち欠けで決めているという点では太陰暦なんですが、1年の日数を地球の公転周期を基にしているという点では太陽暦であるといえます。
つまり、太陰暦と太陽暦の中間的な暦なんですが、昔から月が生活に密着していた日本の文化には欠かせない暦だったわけですね。

アシガールの時代の暦
戦国時代に使われていた暦(旧暦)ももちろんこの太陰太陽暦です。
閏年は1年が13ヶ月だったといっても12月の後に13月があったわけではなく、その年ごとに季節になるべく影響の無い位置に入れられたといいます。
アシガールの時代では永禄元年と永禄4年が閏年にあたりますが、永禄元年には6月が2回、永禄4年には3月が2回あったんですね。
6月の後に入れられる閏月は「閏6月」と呼んで、6月とは区別します。
閏6月の後は普通に7月が来ます。

アシガールでは特に旧暦のことを気にしなければならないシーンはないようですが、旧暦のことを知っておくとお楽しみポイントが増えることは確かです。
尊は月の公転数でタイムマシンを設定したと言っているし…