相賀殿から羽木家への手紙

相賀殿の手紙続編スペシャルでも、もはやアシガール名物?となった手紙が登場しました。
この手紙は唯が永禄に着いた翌日の朝、羽木家の領地であった黒羽の地に侵攻してきた織田家家臣・相賀一成より羽木家に届いたもので、若君と相賀の姫との婚儀を当日行うことを知らせ、天野の爺に立会人としての出席を求めるものでした。
その日のうちの婚儀とはいくらなんでも性急過ぎる感じですが…
ドラマでは明らかになっていませんが、何かそうせざるをえない理由があったのでしょう。
この度は高山の手紙以上に曲者感?のある手紙のようです。

相賀殿の手紙

寄稿者:とっかえひっかえ様

以前はドラマの文書をよく見たことはありませんでした。前作ドラマのアシガールで見たら
キチンと書いてあったのでビックリでした。
SPでは手紙を楽しみにしていました。

相賀殿の手紙を成之様は広げてピタリと静止、お見事でした。
成之様は「読んでみよ、励め!」とおっしゃってる気がしました(ソンナハズナイ)。
左手が1行目2行目の半ばに掛かっていましたが…手紙を床に置く時に手の位置が変わり静止画像で少し見えました。
1行目の半ばは、唯が読もうとして持ち上げた時の裏からの画像を反転し、全部見えたけれども私には
読めない字があり、掲示板には出せないな…一度は諦めようとしました。
それでも手紙には気になることが書いてあるので、分かるところまでで出してみることにしました。

ところが一度掲示板に投稿したものの没でした。
最近没基準が変わったようだ…手紙はダメ?一部だったら?(*_*)と悩みましたが、あれだけピタリと静止なさったのだから読むことが没の原因ではなかろう…と言葉を選んで再投稿しました。(^_^;)セーフ
この手紙は最初2行目の「若君が合戦で○○が抜群だ…」というところの○○が読めませんでしたが、再チャレンジしました。
○○の2文字は「馳動」と読めると思います。
「馳」は馬を早く駆けらせる様子を表す漢字です。
『若君は戦の時に馬で早く駆けるのが抜群に上手い』という意味だと思います。

この文の状況は戦の時の若君のことですから
刀で多くの敵を切るのが抜群に上手い
鉄砲で撃ちまくるのが抜群に上手い
兵糧攻め、水攻めが抜群に上手い
なんてことはなかったはず、戦を憂える若君らしくない気がします。
戦の時でも、馬で早く駆け回る若君の姿ならば、矛盾を感じることなく受け止められる気がします。

そしてこの一文には若君と相賀殿以外の者達の姿を見ることができます。
馬は「疾風」です。
そして相賀殿が報告した人物とは「信長」ではなかったか??(>_<)?

相賀殿の手紙 釈文

相賀殿の手紙(注)少し自信の無い字は【 】にしました。

以一書申入候【扨】忠清事
於合戦【馳】動抜群候旨副命
合満足候 然有娘志津と新縁組
婿入之儀調事候者 可為本望候

忠清も合承知候間

天野信茂殿御立合にて

誠悦喜此事候  恐々謹言

相賀一成[花押]
十一月五日
羽木忠高殿

相賀殿の手紙 現代語訳

昔は当て字が少なくないそうです、2行目の『副命』は「復命(報告)」と
推測できると思います。6行目の『立合』は「立会」の意味で使うこと
があるそうです。

この手紙にて伝えます。さて忠清のことですが
合戦では馳動抜群であると報告
まさに満足です そこで娘の志津と新たに縁組して
婿に入ることがまとまった事は 望みがかない満足です
忠清も まさに承知しましたので
天野信茂殿に お立ち会い頂き
まことに喜ばしい事です 恐れ謹んで申し上げます
相賀一成[花押]
11月5日
羽木忠高殿

相賀殿の手紙の許せぬところ

相賀殿の手紙手紙が成之様によって広げられたのは数秒のことでしたが、実はここには色々な情報が表されていたようです。
手紙は気になる事が幾つもありました。
まず若君を忠清と2度も呼び捨て…これが一番ひどいところです。
若君は、相賀殿にどれほど粗末な扱いを… (ワシには…許せぬ)。
そして宛先が羽木忠高と本名で【脇付け】がありません。
松丸の手紙を思い出すと…羽木家に敬意を払い宛先は本名ではない「御屋形様」を、【脇付け】は『人々御中』と建物や周りの人々でした。

相賀殿は羽木家に敬意を払う必要ない…それは仕方がないかも…だけど手紙の内容は失礼過ぎると思います。
1行目は挨拶の1つもなく、いきなり主張だけが書かれています。
「申入」(申し入れ)とは
相手の意思を確かめずに「一方的に伝える」だけです。
たとえ相賀殿の地位が高くなっても、許嫁のある跡継ぎを婿にもらうのに、相談もなく紙切れ1枚とは…相賀殿にはもっと違うやり方もできたのではないだろうか?
下剋上の戦国の世であっても、戦に勝って位が上になっても。

相賀殿の手紙の謎

成之様はおっしゃった「今朝ほど黒羽城の相賀より参った書状じゃ…今宵がその祝言」
羽木家に手紙が着いて、皆はその日の若君の婿入りを知ったようです。
若君の祝言は満月だった…
永禄に使用した旧暦の満月は15日なので永禄3年11月15日でしょう。
まさにその夜に若君は婿入りの祝言なのだ。
驚く小平太、天野パパ、唯です。
外の人々の影が短いから正午頃でしょう、唯は若君のいる黒羽城へ走ります。
その日のうちに婿入りの若君を救い平成へ、唯は脚も決断も根回し(宗熊殿とアヤメさんへの)も早いですね。

ところで手紙の日付は『十一月五日』と読めます。
今日は婿入り15日です。黒羽城から十日もかかってる。なんで?唯はあんなに早く着いたのに…。

ここで相賀殿の心の内に分け入ってみよう…(相賀殿の選択)
若君の婿入りを羽木は不満に思うだろう…不服を申し立てては厄介だ。
ではどうするか?婿入りの知らせを遅らせて、その日の朝であれば羽木はもう何もできまい。書状は祝言の朝に届けさせることにしよう。
(相賀殿…お主も悪よのぉ…)
こんなことを考えついた私が一番の悪かもしれませぬ (×_×;)

相賀殿の手紙 附録  真の現代語訳かも?

相賀殿の手紙を訳しては見たものの…
私が相賀殿に持ったイメージを表現することはできませんでした (>_<)ウ~ン
個人的に納得のいく現代語訳に再チャレンジです(乱暴な表現をお許しください)。

手紙一枚で言っちゃうよ、忠清の事だけどさ
戦で馬(疾風)に乗って駆けるのが、ハンパなく早くて上手いってよぉ
(信長様に)報告したぜ。
ワシは忠清をさ、マジで!気に入ったんだよね。
うちの娘の志津の婿にしたいと、思ってたんだけどさ
決めたからぁ~
忠清もさ、オーケー(ОK)だって言うからぁ~
天野信茂殿が、結婚式に立ち会ってくれるんだってさ
メッチャ!嬉しいぜ!いやぁ恐縮してるよ。
相賀一成[花押]
十一月五日
羽木忠高殿


 

相賀殿の事情・・・【管理人より】

相賀の手紙ここで相賀殿が婚儀を急いだ理由を推察してみました。

永禄3年5月に桶狭間の戦いに勝利した信長は、これでとりあえず東からの脅威が弱まったので本格的に美濃攻略に動きます。
すでにこの年の6月と8月に美濃に侵攻して斎藤勢と戦っています。
この動きに関連して相賀殿も転戦せよとの命令を受けた可能性もあります。

有能な若君を手放さないようにするため、はっきりと家臣として自軍に取り込む必要に迫られ、急な婚儀となったのかもしれません。
若君の働きを聞きつけた織田家中の者が自分の姫を娶らせたいと信長に申し出たりするとやっかいなことになるし…
で、焦って書いた手紙がこれ…とか…(^^;

当初は使い捨てと思って酷使してきたけれど、想像をはるかに超える有能さ。
礼を欠いたなれなれしい文面も、多分に照れ隠しのようなものがあったのではないかと思います。
いやあ、わりーわりー…みたいな…(^^;
真の現代語訳はそんな相賀殿の胸中を見事に表現していると思います。