アシガール第10話で爺と小平太パパの碁による親子対決がありました。
高山に連れ去られた唯をめぐって若君と兄上さんの兄弟対決があった後、天野家が預かった兄上さんの母(久さん)の世話役におふくろ様をつけるとか話ながらの対局でした。
この碁はどちらが優勢だったんでしょうか。
また、その時の爺の心中やいかに?
爺と小平太パパの碁
画面で見える範囲でこの碁を再現してみました。
斜めからのアングルしかなく、少し離れると光が反射して白黒が判別できないため、解読?には少々骨が折れました。
結局よくわからなかった部分もあります。
自分は全然強くないんで(むしろ弱い…)、アレなんですが…(^^;
かなりの腕前同士の碁に見えます。
もしかして、記録に残っているどこかの古い対局を持ってきたんでしょうか。
強い人が見たらまた別の見解があるかもしれませんが…
囲碁っていうのは、平たく言えば陣取りゲームで、自分の石で囲んだ陣地が多い方が勝ちとなります。
わかりやすいように、図1では黒の陣地を紫色の点線、白の陣地を緑色の点線で表しています。
今後、中央右寄り、橙色の点線部分の攻防が勝敗の鍵となりそうです。
右上の方の状況がわからないので何とも言えませんが、現時点ではいい勝負なのではないでしょうか。
囲碁では先手の黒番が有利
囲碁では先手(先に打つ方)の黒番が圧倒的に有利になるため、現代碁では「コミ」と呼ばれるハンディがあります。
例えば、コミ5目半の碁では、先手の黒は盤面で陣地が6目以上多くなければ勝ちとはなりません。
盤面で5目のリードであれば勝負は負けとなります。
ただ、このコミの採用は1930年代から始まったといわれているので、当然、戦国時代にはありません。
黒は盤面で勝てばよかったので、かなり有利なはずです。
この時は父子対決ということで、一応格上?の爺が白を持っているのだと思いますが、けっこう苦戦しているのかもしれません。
小平太パパがたんたんと打っているのに比べて、爺はかなり気合を入れて打っているように見えます。
小平太パパが打つと盤面に顔を近づけてじっと見て考えているし…
爺の次の一手と小平太パパの応手
さて、ここで白石を持った爺の次の一手はここでした。
これ(図2)を受けて、この部分だけで考えれば、黒(小平太パパ)は次に必ず図3のように打つはずです。
この時打った黒石の左隣りの白石は四方を黒石に囲まれたので、捕られて盤面から取り除かれ、そこは黒の陣地となります。
もし黒が図2の白に応じずに他を打ったとして、白がここに打つと、
緑色で囲んだ範囲の黒石が捕られてしまいます。
※まだ四方を囲まれてませんが、いずれ囲まれることがこの時点で決まります。
他にもっと大きなところ(見えないところで)があって、小平太パパがそちらを打ったのなら話は別ですが、そうでなければここでほぼ勝負がついてしまいます。
白の爺の勝ちですね。
ですから、小平太パパは図3のように応じると考えられるわけです。
白(爺)はなぜこの手を今打ったのか?
さて、図2に戻り、この時、白(爺)はなぜこの手を打ったのか?を考えてみます。
囲碁は大きいところ(勝敗に影響の大きい部分)から打つのが原則なので、その手順でここに打ったのかもしれません。
ここをしっかり固めておいて、その右の橙色の今後の攻防箇所に先着するつもりなのかもしれません。
左上もちょっと気になるけど…(^^;
ここではアシガール的に?考えてみます。
実はこの時の会話が問題です。
この手を打ちながら爺は「吉乃をつけよう。(久さんの世話役に)」と言います。
思わずギョッとして盤面から目を離した小平太パパは、
「いや、しかし、そのような大役が務まりますかどうか…」
と明らかに動揺して不安気に応じます。
この「動揺」と「盤面から目を離す」というのがミソです。
この局面で盤面から目を離さなければまずミスはないと思いますが、盤面から目を離して動揺しているとなると…
自分レベルが盤面から目を離して他のことに気を取られたら、「あれっ?どこに打たれたんだっけ…」となるんで…(^^;
小平太パパははるかに上手だと思いますが、動揺しているとなると…
もしや…
これは、動揺させることによって失着を誘い、一気に勝負を決めようとする爺の作戦(陰謀?)ではあるまいか…
だとしたら、隠居したとはいえ、さすが戦国武将…(^^;
その後の爺の口をもにょもにょさせる仕草がどことなく、
「信近よ、吉乃のことはいいから、とりあえず間違ったところに早く打たんか~」
と言っているように見えて、面白くて仕方ない。
囲碁と戦国武将
上で書いたように碁は盤上の陣取り合戦です。
自陣が1目でも相手より多ければ勝ちなわけで、完膚なきまで叩きのめす必要はありません。
この点が常にどちらかが「負け」を宣言して終わる将棋との大きな違いです。
将棋の負かされ方はけっこうきついけど、囲碁の場合、それなりに自分の陣地も残るので、遊んだ~という満足感があります。
ただ、自分レベルのヘボ碁だと、部分的な戦いに負けて多数の石が捕られて大きな負けになることもあり、それはそれで悔しいんですが…(^^;
プロ棋士の碁でも激しい戦いが起こって、これはどちらかがつぶれるのでは?と思うような局面になることがあるんですが、たいていうまい具合にどちらもつぶれずに収束するのは本当に見事です。
戦国武将の囲碁愛好家は少なくなかったといいます。
あの武田信玄を初めとし、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の面々も当代の本因坊算砂を師匠として囲碁を学んだといいます。
囲碁を通して戦略的な感性を磨くという面はもちろんあったと思いますが…
一応数字上の勝ち負けはあっても勝者敗者ともに自分の陣地を確保できるという点から考えると、共存の意識は誰しも少なからず持っていたのではないかと思います。